【自己啓発】ジェリー・ミンチントン:著『心の持ち方 完全版』心が軽くなる本
僕は恥ずかしながらこれまで自分の不幸に気付く度、親のせいにしながら生きてきた。
そう言い訳をせねばとにかく納得が出来ない。自分の無力さは成長過程に大いに関わっている存在が親だから。僕の性格を形成するのにも親が関わっている。行動力、学力も親の言葉に怯えて出来なくなったから親のせいだと思ってしまっている。
もちろん親のせいにしたって何も周囲は変わらない事は分かっている。
それを自覚するためにも誰かに言ってもらいたかった。
僕は惨めな生き物だ。
ラノベ一冊読み終えたから本屋へ行った。
何か自分を励ましてくれる本を探していた。
読むだけで身体を動かしてくれるような言葉の並んだ本を。
窮屈さを感じるこの気持ちを少しでも解放してくれる本を…本をおおおおおお………と。
本屋をうろついてしばらくしてorange colorの薄めの一冊の本を手に取った。
表紙には『THINK POSITIVE(ポジティブに考える)』とだけ。
簡単にポジティブに考えられたらどれほど楽だろうか。
信用せぬまま立ち読み始めた。
内心信じたい気持ちを持ちながら。
1ページを開けば『1自尊心を高める』だ。
自尊心は嫌われがちな面がある。いわゆる自己愛のようなナルシズムのような。
簡単に気に入るのが難しい。
明るくない人は特に自尊心とは真逆で悲観的で前進するような意識が薄い。
しかし、本書では”自尊心”の正体について書いてある。
②「自尊心の高い人は自己中心的だ」というのも誤解だ。「自己中心的である」という事と、「自尊心が高い」という事は正反対なのだ。自己中心的な人は称賛を求めるが、自尊心の高い人は称賛を求めないのだ。自分の価値を信じているから、他人からの称賛など必要としていないのだ。
ふむふむ。分からないことも無い。
その後ペラペラと適当にめくった。
『ねたみを絶つ』
自分が持っていないものにこだわることは、心の中に「欠乏意識」を作り出す。この感情に固執する限り、ますます不足感に悩まされる。
(確かに)
図星を突かれた。
ねたみを野心に変える。自分の欲しいものを持っている人を羨むのではなく自分もそれを手にするために努力する方が建設的だ。
こんな感じの内容で見開き1ページ一つのテーマについて簡潔に分かりやすい説明でアドバイスが記されている。
適当にめくっても分かりやすいし全てではないが思い当たる言葉が幾つかあってそれを購入した。
前述した通り僕は自分の不幸を親のせいにし、気が付けば言い訳にして生きてきた。
その上で自分には厳しくしたいという気持ちもあったりする複雑な感性を持っている。とはいっても厳しくとするのは外側から与えられるものに我慢するだけで行動は出来ない。
みっともない生き物だ。それは厳しくも努力でもない。
「怠惰ですねえ」
見えざる手に襲われそうです。
『見えざる手』。言い換えるのであれば
=怠惰によって生まれる自身の不幸だ。
過去の不幸な出来事が現在の行動を引き起こすわけではない。過去を言い訳にしないで、現在の自分の心の持ち方を変えよう。
そういう志が大事だと言われるだけでもモチベーションが変わると思う。
この本のカバーがorange colorなのかも理解できる。
本書で一番自分を説得してくれたと言っていい章がある。
それは『自分の人生に責任を持つ』という章だ。
人生が思い通りにいかない時、私たちはついつい自分以外のものを責めたくなる。自分の人生に責任を持つよりも、「こんなふうになったのは他人や環境のせいだ」と思いたくなるのが人情だ。
しかし、自分の責任を認めないのは間違った姿勢である。自分には責任が無いと思い込むと、自分が被害者のように感じ、ますます他人や環境のせいにしてしまう。
確かに、自分の問題が自分の決定によるものであることを認めるのは困難だ。しかし、それを認めない限り、この先もずっと不幸なまま人生を終えることになるだろう。
たいていの場合、自分の身に起こることは、自分がしたことやしなかったことの結果である。私たちはそれをしっかり理解する必要がある。
勇気を出して自分の人生に責任を持とう。そうすれば自分で将来を切り開いていくことが出来る。
厳しい事は言われたがその通りで認めざる終えない。
というか、僕は不足さを感じていたからこそわざとこの本を求めていたのだ。
言われたかった。
自分の脳みそで考えたり、日記に書いたりはしたものの物足りなかった。
だから、求めている言葉が記されている本が欲しかった。
見事に厳しく言われ、行動するべき理由を提示されて改めて、決意が出来た。
人のせいにせず、自分の人生に責任を持って、行動せねばと。
全然まとまってないけど我が自己啓発のためのメモみたいなものなので文章下手くそっていうのは勘弁くだせえ……!!!
【エッセイ】星野源:著『よみがえる変態』で感じる性と生
ラノベ一冊読み終えて久々にエッセイが読みたいでござると思いながらのほほ~ん♪と本屋へ行って小一時間うろついて北野武さんや村田沙耶香さんのを探したりして手軽な文章が良いなーと思いながら探していたら星野源さんの『よみがえる変態』がおすすめ本として表向きに棚に置かれていてついエッチな話を期待してすぐ迷わずに購入した。
以前には『そして生活はつづく』も読んでいたので源さんの手軽な文章は知っていた。
今回も軽快で滑稽で気付くと真面目に考えさせられたりと星野源の文章にあっという間に時間を飲み込まれた。
そんな『よみがえる変態』を読み終えたので感想を書いていきたいと思います。
自分が買ったのは2019年発刊の文庫ですが、元は2014年発刊の単行本『蘇る変態』を文庫化したものです。
また、内容自体の初出は雑誌『GINZA』連載2011年~2013年から加筆修正されたものです。
性
本編を読み始めるとタイトルの通り(期待通り)に下ネタで始まる。
星野源はラジオでも下ネタ発言で有名だと思いますが、今回もなんとも生々しいけど真面目な語りに惹かれてしまった。
性に対しても真摯な姿勢でなぜ『お〇ぱい』と呼ぶのか、語源まで調べている彼には脱帽である。
A〇女優についての話では、
・なぜそんな仕事を選んだのか
・結局、借金とかでお金が欲しいからか
・もしくは、ただのヤ〇マンなのではないか
・どちらにしろ社会的に最低な人間
・一回でもAVに出た女は、一生人並みの幸せは味わえない
という知人の言葉に対して、星野源自身は、
私は音楽が好きで、芝居が好きで、文章が好きで、それを仕事にしている。それとセックスが好きで仕事にしていることに違いは1ミリもないと思っている。どの仕事もスタッフや演者の頑張りがあって初めて成立するものだし、好きなものを仕事には大変な努力が必要だ。そこには挑戦するのは難しいけど、素晴らしいことだと思う。
多少乱暴な言い方だけれど、私は人前で歌う事と人前でセックスすることは同じだと思っている。人前で表現するっていうのは恥ずかしいことだ。そしてそれでお金をもらうという事も。どちらも同じように堅気の職業とは言えないだろう。そこに善し悪しの差はない。
と言っている。痺れる。
下ネタな筈なのにまるで下ネタに聞こえない。
このように人の仕事に対しても真面目な姿勢で向かい合っているの事は私たちにも必要なことかもしれない。
人の仕事は人の仕事で合って、一生懸命であることに対して、「善し悪し」を他人に言われる筋合いなどない事だろう。
星野源さんは俳優をし、ミュージシャンもしてこうして文筆業まで行っていることに対して真面目である証拠だと思う。
テーマに偏りはあれど、星野源さんの言っている事は他の仕事に対しても当てはまることは言うまでもない筈だ。
人生観にまで関わってくる深い話だ。
生
2012年12月16日、星野源さんはくも膜下出血という病気になった。
ファンだけでなく、星野源が病気になったことを当時ニュースでやっていたから知っている人は多いのではないだろうか?
症状はざっくりな説明をすると脳内で出血してしまっている、かなり重い病気だ。
手術は無事に成功したが、後遺症含めて全快の可能性は低く、実際に後遺症は残る。
しかし、星野源は仕事で予定していたタワーレコードのポスター撮影を「面白いから病室でやろう」と言ったらしい。
ここでも人柄を感じる。最悪の状況でも全力で仕事に向かっているんだろうと。
手術は成功したが、後日、再発が宣告された。
前回より重く、国内に施術できる医者が少ないらしく、医者探しせねばらなかった。
医者探しは難航した。やはり難しい手術なのだなと気持ちが落ち込みそうになる。結局、以前から様々な事でお世話になっていた、笑福亭鶴瓶さんに電話で相談に乗っていただいた。
そして鶴瓶さんに先生を紹介をしてもらい、実際に対面し、手術してもらう決断をした。
ただでさえ重たい病気で、手術の成功が難しく、医者を決めることは重要で安易にできることではなく、決断したいきさつが面白かった。
診察室に入ると星野源は手術してくれる先生、K先生にこう言われた。
着席すると、先生は勢いのある口調で言った。
「手術やりたくないです」
「ええええ!」
唐突すぎて、コントみたいなリアクションをしてしまった。しかしそこから、いかにこの難しいかの説明が始まった。
(中略)
説明をしながら、K先生は唐突に違う話をし始めた。
ち〇この話だ。
重たい脳の話題から、気が付けば話は脱線し、「誰か死んだふりしていてもちんこを見ればどれくらい脳が生きているかわかる」的な、いわば学術的下ネタになり、後ろの女性看護師がクスクス笑う中、私はいつの間にかK先生の話に爆笑させられていた。
しかし説明では手術がどれほどシビアなものなのかと言う話が合り、それに対して星野源が気持ちが落ち込んでいる所、目をじっと見て先生は言った。
「でも私、治しますから」
予想外の言葉だった。
「最後の最後まで、何があっても絶対に諦めません。見捨てたりしません、だから一緒に頑張りましょう」
主治医の先生には執刀医は自分で納得のいった人を選んでくださいと言われていた星野源はこの先生の言葉によって決心した。この先生に手術を任せようという事を。
はっきりと正直に「手術やりたくないです」とは言っていたが、真剣な姿勢があるのが分かるとガラッと信用できるだろう。
星野源のような感情豊かな反応も相まって明るい話になっているし、この後に執刀医に決まった先生の言葉は星野源の文章越しからも十分に伝わった。
「何も考えずに楽しくいきなさい!」
星野源はその後先生に手術してもらい、数日頭痛、嘔吐が続いたが復帰まで至った。
その入院の間、看護師の女性に面倒を見てもらい、その女性がファンだったという話も爆笑ものだった。
スッとした表情でテレビに出ている星野源だが、『よみがえる変態』で散々いう事を言っている。
彼の人生観、また、話に登場した執刀医との出会いは大きく重要な存在だと思う。少なくとも彼のユーモアの一部になっていると思う。下ネタが下品すぎなところはユーモア故で、茶目っ気さえ合って変に下品ではないと感じた。
2020年、今こうして楽しく生きている星野源の姿勢はそういう出会いから築かれていると思うと、とても貴重なもので、社会現象的に人々を繋げた『うちで踊ろう』が誕生したのもそういう時期だったからこそ、彼の感性がありなるべくしてなったものだと思う。
最後に、ユーモアと真面目を織り交ぜながら余計な説明のない星野源の文からは”生命”の繊細さと、重要さは重く感じ、だからこそ身軽になれた気がする。
とりあえず、本書を読んでおきながら彼の楽曲をすべて聴いていないのでちゃんと聴こうと思います。
そこにも星野源からのメッセージがあり筈なので。
読了までの時間2時間程度
私が”気持ち悪い”と思う言葉
私は簡易的で安易に使いやすい言葉が嫌いだ。
とりま思いついた『気持ち悪い』と思う言葉を上げていきます。
・「あの子可愛い」
他の子を下げるような言葉のようで差別的に聞こえてしまう。
自分に向けられたりすると下に見られているような不快感を感じる。
・「格好良い」
他の人を下げるような言葉のようで差別的に聞こえてしまう。
自分に向けられたりすると自分の知っている自分とは相反している言葉過ぎて、言ってきた人に対して「この人は私の何を知っているのだ?」と思ってしまう。何も知らない奴が気安くそんな言葉を向けるな。
どうせみんなにも言ってるんでしょ。
・「優しいね」
優しくない。当たり前のことをしているまでであって、むしろしていないお前はまるで優しくないな。と思ってしまう。「優しいね」は過剰評価だ。
こんな事を思ってしまうのだから優しいわけがない。
・「ヒドイ」
その言葉を簡単に発するな。安易すぎてむしろその言葉が相手を傷つけてしまうとは考えられないか?
なぜヒドイという言葉を用いるのか、それに至るまでの詳細な理由を言ってみたまえ。建設的ではないだろう。
・「ウザい」
ウザい。
・「だから若者は…」
すぐそうやって『歳』を理由にしてくる人間は生産的ではない。若い者の力と年寄り共の力で社会を継続させることに成功しているのだ。
あとその発想は前頭前野が衰えているのが理由であろう。脳みそを鍛えた方が良い。
自尊心が無いヤツは特にそういう言葉を用いるから気を付けた方が良い。
・「だから年寄りは…」
『歳』を相手にしている暇があったら考えろ。お前もあっという間に年寄りになるぞ。
・下ネタ全般
セクハラって言葉知っていますか? 同性に対して言っても相手の気分を害せばセクハラになりますよ。
まず下ネタが通じるか訊けよ。いや訊くなよ。
・「まだ若いのにー」「えー知らないのー?」「絶対やった方が良い」
若いとかクソどうでも良くて人間の経験って人間それぞれ違うんだぜ? お前と一緒の人生送ってない。お前と同じ人生なんて送りたい訳じゃない。自分の人生は自分のだし自分で選ぶ。「絶対」とか言い切るな。責任とれるのか。
・「気持ち悪い」
気持ち悪いって思うくらいなら別の事に考えを巡らせろ。そんな退屈な人生を送っているのかお前は。それなら早く新しい事を初めて自分を磨け。
おわり
私は普通の人より言葉に機微で、敏感なのかもしれません。
だけどそれに対して抱く感情は積もり積もってためていた心中は膨張して自分自身が言う『気持ち悪い』言葉を使いそうになります。
現実で対面する相手にはもちろん使用しませんし、隠します。自分が言われたくない言葉なので。
だけどいかんせん仕事柄、今回上げた一部ですがそういう言葉を発する人を相手することが多いので溜まりやすいんです。
しかし溜まったら発散するのは全て音楽です。音楽を聴いて、歌って。
それだけで私は十分満足です。
音楽は気持ちが良いのです。全て、全て、全て。
読書感想文がなんすか?
今週のお題「読書感想文」
読書感想文ねえ。
多分自分は小中高一度も書ききったことないんじゃないかな?
本を読むのは好きだけどその感想を定められた枚数分書かなければならないというのはなかなか窮屈な宿題だったと思う。
読書感想文を書く事よりも、感じたことを簡潔に説明できるような教育の活かし方を教わっていたら意欲的に書いていたかもしれないけど。
書ける人は書けただろう。
書けない人はそもそも本を読むのすら大変なんじゃないだろうか。
だから読書の仕方を教えていたら書けたんじゃないだろう?
しかし、もちろん自論を求められることだろう。
考えることが大事だって事も言うだろうな。
感想文を書く目的は正直よくわからないが、何をどういう風な事を目的にしているかということを教えてもらっていたらそれに向けて工夫して書いたりするようになったかもしれない。
どうやら、ちゃんと本の内容からどんな事を得られたか、そして、最終的にその本の全体像を表すような一言が書けているのが大体読書感想文コンクールで入賞している。
更に物語に限らず、感想文でさえ起承転結が求められるようだ。
もっと他に重要な点とかもありそうだが、今の学生は書く目的と言うのは理解し、表現の仕方について考えているのだろうか。
一番はその本からどんな発見をしたかという事が重要になっているように感じる。
まあ、審査員じゃないから何を見ているのか分からないが、そういう部分に快感を感じた。
てか、その評価ってただ審査員にとってハッとしやすいかどうかだけじゃね??
「はい、この子は文が上手、あ、こんな発見をしたんだね。独創的だね!君は入賞だ!!」
(は??)
行事のように感想文を書かせるのだったらどこをどうしたら良いかという事まで少なくとも説明しねえと子供は分からないと思うぜ。
改善の仕方まで考えていない教育者こそ、教育という言葉を読めていない気がするんだよ。
そんだけ。
俺頭悪いから分かんねえや。
読書感想文を書く魅力なんかよりまず本を読むという事の魅力を教えてあげろや。
以上、太宰治を敬愛してやまないアウルさんからは以上だよ。
昨今のタレントの発言と炎上に関して思う事
昨今タレントの発言でネット、主にSNSで炎上している事が目立つようになった。
と言っても少し大人しくなったかな?
コロナ禍が始まって少し経ってから異常なくらいに毎週毎週毎週必ずと言っていいくらいに色んな業界のタレントの誰かが炎上していた。
一つ屋根の下で男女が生活を共にしてリアルな恋模様を見せるなんたらバラエティー番組とかに出演した某氏が番組無いので言動に問題を感じた視聴者のやからがうんたらかんたらあったり、次には某今をときめく大人気ロックバンドのハイトーンボーカリストのアイドルとの交際報道があった途端に喚起するファンを退いてがっかりしたとかなんたらかんたら。
そういう期待はアニメのキャラクターにでも抱いておけ。
まあ、現実の何かに期待出来てないと安心できねえのも分からないわけでもないけど、実際人間は大体外身と中身が合って、中身が見つけきれないもんだよ。プライベートぐらい自由にしてあげろよ。
ファンに見せている外身が全部ってわけじゃないし、自分が捉えた面通りな人間なんていないだろ。
それこそ、このハイトーンボーカリストは結構シャイで内気でだけど音楽に超正直な少年心丸出しな奴だったじゃんね。普通に考えて弱い部分があるって分かるだろ。叩くなよ。
そのあと常田さんがマジかっけえこと言ってたからその某バンドに惚れ直すわけですけれどね。
時系列的に前後してるか分からないけど、政治家の言動について講義的ハッシュタグ付けてSNS投稿したファンシー衣装の女性アーティストは政治に興味を持って欲しいって言う誠意が合って投稿したそれには散々なやりとりがリプにあったらしいし、なんか政治関係の(?)お偉いさんまでアーティストだから詳しく知らないと思いますがとかなんたらかんたら言ってくる奴まで出て来てみたいで全然建設的な話しできねえじゃねえかってまあなるわけですけども、そんなこんなで色々あったんすよ。
一部ではアーティストの発言に対して「そんなこと言わないで~」と嘆くのもあったりしたみたいでさ。それには双方を同情する。
ファンの中には過激な発言に慣れていないような年齢層もいそうだからちょっと行き過ぎた発言と捉えられたのかもね。でもやっぱ勝手なキャラクターを押し付けてるよな…。
芸人がラジオで性問題的な失言したら様相まで非難する人が出てきたり、最近話題の下ネタ明星とかいう芸人の片方がリモートで女性にちん散らかしたりしてこれまた非難だわ。まあ、実際のところ知らねえしネット記事からでしか情報得てるから非難する気にも自分はならないわけですけど。
今上げた例の中で自分もSNSやってるからリアルタイムで確認したのはいくつかはあるけど、まあ、正直それらに対してのリプとか、全部安易な言葉ばっかりなんだわ。
理屈が通っているかどうかは知らねえけど様々な知識を披露している人もいるよ。
だけどさっきの、「アーティストだから~」とか言うのはあまりにも主題とはかけ離れてるだろ。てか差別だろそれ。
まあ、それらについてだな。
具体的には、人の言っている主題と関係なく人相や、過去の発言を掘り出してあーだこーだ、もしくわ、自分の想像とはギャップがあっただけで裏切られたとか言って、誹謗中傷及びなんか勝手にがっかりしている奴らはホントもったいないったら勿体ないと思うんだよ。
その時間ほかに当てろよ。
自分の尊厳守ろうとして、道徳破っていて言動がブーメランなんだわ。聞いて呆れる。(それをいちいち報道したりする輩も大概だわ)
炎上するのは基本SNS。ネットだね。
んで、だ。正直一言で言っちゃうと自分はこういう奴らはこの世からは一掃する事は出来ないと思ってる。
SNSはネット利用している人間分思想が存在している。
SNSさえ存在していなかったら人間それぞれの心の中でとどめられて終わるかご近所での会話で終わるかそんぐらいで済んだんだわ。
わざわざその人のところまで行く人なんていないだろ?
今なら片手でその対象の名前調べてちょちょいのちょいで言葉を投げかけることができるようになっちゃってるんだわ。
だから正直SNS事態無くなっちゃった方が良いんじゃね?って思ってるけど無くなればまた別のツールが生まれそうだね。それか、今のシステムに慣れちゃった奴らの発散手段が減ってどこかに別の問題が増えそうでそれもそれで恐いね。実際コロナ禍、自粛期間のおかげか、一般人の投稿へのいいね数が10万越えがざらにトレンドに流れていた時期があったが、外出できないストレスでかネット毎日悪口で荒れていたわ。
俺もその時期同調圧力で何回も引っ張られちまったわ。本質的な性格と反した言葉を使おとしていたからか凄い身体怠くなったりしたからもう勘弁です。
このいろいろな人たちがいるこの世の中ですけどね、どうしてもいるんですよね、一個の発想、提案に対しての反対派。
みんながみんな同じ方向に向けるわけがねえの。違う成長過程なんだから。
正直、発言する人にも、非難する輩にも贔屓は基本したくはない。
誹謗中傷魔人達に対して止めたいっていう気持ちはあるし、叩かれる人を擁護する気が無いわけじゃない。
でも、発言にも責任っていうモノがあると思いますよ、僕は。
前述している、思っていたのと違うって言ってファン離れする事とかに関しては、自分のファンの層を考えて発言には注意したり、やっぱファンの想像に出来るだけ想像に合わせようって努力をするとか。出来ないなら、初めからそういう人ですって主張しておくとかさ。
それは、SNSをやる、そして発信する上では責任を持って発言するべきだと思う。
ファンのイメージを優先するか、自分の自由を優先するか、天秤にかけて答えを出して欲しい。
そんで、どうしても『心無い言葉』って言葉は聞いたことがあるように、存在しちゃうんだよ、『心無い言葉』って。
でもって、死なれたら俺困るんだわ。
好きなアーティストとか、そういう人にもし向けられたらどうしよう、とか日々不安なんだ。
また、鬱屈した世界が見えてきちゃってさ。辛いよ。
で、もし非難が向けられるような状況になった時の為に、忍耐はやっぱ鍛えておいた方が良い。事務所とかマネージャーはどういう対応してんのかなとか思ったりするよ。
ここで言ったって仕方ねえけど。
勿論、誹謗中傷がいけない事だってことを忘れるわけはないし、無視するつもりもない。
反抗しないでさ、耳を澄まして、話を聞いたりしてよ。
無暗に乱暴な言葉は使わないで欲しいよ。言葉は心をむしばむことが出来ちゃうんだよ。
人にナイフを向けている事とほぼ同じようなもんなんだよ。
コロナ禍で子供のいる家庭が生活が難しいって事で、SDG'sの活動でその手助けとして無償で食料を提供するって言う活動とかも最近合ってさ、なんかすげえ協力し合ってんじゃん。
(そんな、活動でも支援を受けてるとか思われないように提供の仕方に工夫している事もあって、いろいろ人の目って窮屈にさせていて頭痛がするよ。)
そういう関係性を作ろうとか思えるようにならないといけないと思うんだ。
日本の将来、SNS継続の為の将来。
そこまでSNS依存しているわけではないけどまあ、合った方が良いよな。
共有することとかって楽しいだろうしさ。
まあ、そんな事を最近数か月考えていて色々結論出したり、人の心理についていろいろ意識を向けて会話したりして気付いた上で、コイツを買ったわけ。
大体、自分の考えていたことの答え合わせで70%は正解だったと思うよ。
知らなかったのはなぜ日本人の思想がそうなったのかってのが地政学的な関係とか、脳科学の専門用語くらいだったよ。
早くコロナ終息してくれよ。
【心理学】中野信子:著『人は、なぜ他人を許せないのか?』~正義中毒とSNSと炎上と~
(どうも、ツイッターで傍観梟とか堅苦しい名前からアウルという名に変更しました。
ブログでもこちらの名で活動していきますので以後改めてよろしくお願いします。)
今回はこちら、脳科学者 中野信子:著『人は、なぜ他人を許せないのか』について書評していきたいと思います。
まず、本書では人を許せない事を撲滅出来る方法、結論は書いてありません。
幾つかの心理学や科学的な論点から”なぜ他人を許せないのか”、”気持ちを緩和できるヒント”が書いてあります。
- 人はそもそも他人を攻撃してしまう性質
- ネットの発展と誹謗中傷
- 国によって正義中毒の性質は違う
- 正義中毒は良い部分が見えていない
- 個人より集団が優先されやすい
- 集団とバイアス
- 正義中毒・対立・ドーパミン
- 正義中毒をコントロールする方法
- 読み終えて感じた、感じていた見解
人はそもそも他人を攻撃してしまう性質
人間というのは、そもそも人を攻撃することに快感を覚えてしまいやすい性質を持っているからです。
人に制裁を加えることによって、快楽中枢という部分が刺激され、快楽物質であるドーパミンが放出されます。
そのドーパミンが放出されることによってクセになり抜け出せなくなってしまい。何度も繰り返してしまうのです。それを本書では”正義中毒”と呼んでいます。
この正義中毒とのは誰にでも起こり、人間ならば当然の現象で、仕方がない事なのです。
その仕組みの比較として、ウサギは大脳が正義中毒を起こすには小さすぎるようで、人間のような正邪の判断ができないようです。
しかし、それに対し人間の大脳は成長してしまったばかりに”大脳新皮質”と呼ばれる思考を司る部分が存在し、そのおかげで人間は”生きている意味”を考えたりするようになってしまったのです。
ネットの発展と誹謗中傷
そして、この正義中毒というのはネット、SNSの発展により、顕在化させていっています。
最近では芸能人に対しての誹謗中傷も特に目立ってきています。
不倫、不謹慎発言、さまざまなスキャンダルについて、一般人がネット、手軽なSNSでコメントし、見える化、顕在化させてしまったという事です。
少しでも間違った、自分と相反した発言をしただけで誹謗中傷、そして「炎上」が発生します。
今日芸能人が良かれと発言したことが思わぬ受け取られ方をし、たちまち炎上するという事がよく起こっています。
当然、それは芸能人に限らず、一般人のいわゆるバズっている内容にコメントには心無い言葉が向けられたりしていることはざらではありません。
高級ブランド品の所持品の写真を上げれば、「自慢だ!」
少しでも気の緩んだ事を言えば「甘えだ!」
ママタレントが投稿した内容には「教育の仕方が非常識だ!」
と尽きぬところを知りません。
そしてその炎上ている内容に対して誰でも簡単に参加出来てしまいます。
その参加する者の中では多数派に流されてしまっている人たちがいます。
更に、SNSの手軽さがあるおかげで正義中毒にかかりやすくなってしまったという事もあるようです。
国によって正義中毒の性質は違う
また、国によって正義中毒は誰にでもなるが、誰を逸脱するかという基準は変わってくるようで、日本人は特に「みんなに合わせられない人」や「みんなと違う言動をする人」が愚かと考えられてしまいがちのようです。
著者の中野信子さんはフランスで仕事をしていた際の経験で、フランスの考え方を比較に上げており、フランスでは「みんなと同じこと」「意見を言わない」といった事が愚か、つまらないという風に捉えられるようです。
しかし、日本人は対立を恐れて自己主張を抑える傾向があります。
正義中毒は良い部分が見えていない
正義中毒者は、相手の主張の良いところを取り入れることがなかなか出来ず、正義が一つしかないと決めつけているという問題があります。
相手はバカだ、相手より自分の方が優れていると証明するために言葉を選んでしまいます。
その為、議論する余地もなく、誹謗中傷に発展してしまうのでしょう。
そして、時には権威者に従い、優秀なコマとして働いてしまうという事が正義であり、正義同士の争い、権力闘争、主導権争いのような場合もあるのです。
個人より集団が優先されやすい
日本人は空気を読んで、異論を言わないという問題もあります。
それは日本は個人の意志より、集団の目的の方が優先されやすいからです。
そして、いろいろな不都合な問題に口を出すような人がいたならば冷遇されがちで、言えなくなってしまう傾向にあるようです。
なぜそうなってしまったのかというその理由として、集団で力を合わせることが必要になってくる日本の地政学的特徴である、災害の多さがその要因とも考えられているようです。
災害のあった際は、集団で助け合い、生き抜くためにそのような心理傾向が生まれてしまったようです。そして、その状況で集団に迷惑、ルールに背く人間がいることが問題、不利益として考えられるようになってしまったのです。
そして集団で行動するとその周囲の行動に合わせなければいけないという心理が働き、これを「同調圧力」と言います。
少数意見の人に、多数派が従うように暗黙のうちに強制してしまうのです。
例として、同性愛者がカミングアウト出来ない事や、またそれを擁護しようとする人たちが冷遇されるのではないかと不安になり、言葉にするには勇気が必要で難しくなってしまっているというようなことも同じでしょう。
集団とバイアス
自分の属している集団にいると外側の人たちより良いというバイアスがかかってしまうものです。
そして、そうすると、外側の人たちはバカだと感じるようになります。
しかし、この自分の所属している集団(イングループ)、を優先し所属していない集団(アウトグループ)をバカだと考えるようになることに関しては、人間にはもともとこのような安全装置が脳に組み込まれているようです。
中野さんは、自身がアメリカで飛行機に乗っていた際に、自分の前の椅子下の自分の荷物を取ろうとした際に、「物取りかもしれない」と思われたのか、隣の白人男性が彼自身の荷物を遠ざけようとされたことがあったようです。
このように、自分の身を守るような機能はそれよりも優先されてしまうのが常です。
自分の集団であればそこまで警戒はしないが、それ以外に対してはこのような警戒心が働いてしまいます。
このような、自分のグループを優先してしまう事は”イングループバイアス”と呼ぶようです。
正義中毒・対立・ドーパミン
前述しましたが、そもそも人間の脳は誰かと対立するように出来ていて、自然な事。当然、人間はそれぞれ違います。
そして、他人を「愚か」、「優れている」と捉えるのはあくまで自分の基準を無理に他人に当てはめているだけで、実際、他人は異なっていて当然であるにも関わらず行ってしまいます。
当たり前ですが、そうしたところで相手が変わる訳もありません。
その為、相手を「良い」、「悪い」と判断したところで意味は無く無駄な事です。
しかし、やはりささいなきっかけで人を悪く言ってしまうのも人間の特徴です。
また、このような正義中毒が発生するパターンもあります。
例えば「お前が悪い!」「いやお前の方が悪い!」のような場面は見かけたことはありませんか?
対立する誰か、またはグループが存在することで、これも”正義中毒”に陥っているパターンのようです。
「我こそは正義、お前は不正義」という事が快感であり、お互いに対立しあうことによってドーパミンを出し合う状況を提供し合っている関係になってしまっていると言えるわけです。
そして、本当に相手がつぶれてしまうと困ってしまうのです。
正義中毒をコントロールする方法
正義中毒になってしまう原因として、加齢によって分析的思考、客観的思考を行う場所である、前頭前野が委縮していく事が原因という事もあるようで、そこからは完全に逃れることはできません。
前述している通り、誰でも誰かと対立したくなってしまうのは当たり前です。
ですが、それを防ぐ、抑制し穏やかに過ごす方法が無いわけではありません。
抑制する方法として、物事の捉えた方、発想を転換することが一つの手としてあります。
まず、自分自身が正義中毒者になっていることを自覚することが重要です。
「許せない」という感情を自覚することによって、客観視することができ、抑制できるようになるからです。
テレビ番組やSNSでも良いです。
もし見ていて怒りの感情を抱いた時、それが増幅してしまう前に一呼吸置きましょう。
そして、自分は中毒症状が強くなってきてしまっていると考えるようにしましょう。
このように、毎回立ち止まるようにすることによって、抑止力になる事でしょう。
また、前頭前野が加齢によって委縮してしまういう事ですが、前頭前野を鍛える方法もあります。
前頭前野は論理的思考、客観的思考を行う場所です。
つまり、論理的、客観的思考にそうせざるを得ない状況を置くことによって、衰えを抑制する期待ができるようです。
メタ認知を鍛える
前頭前野の働きを保つことによって、前頭前野の重要な機能である「メタ認知」を使うことができます。
このメタ認知とは、自分自身を客観視できるようになる機能で、これが前頭前野にあります。
このメタ認知を働かせるクセをつけることによって、「自分の言動は正しいか?」と問いかけることができ、前頭前野を鍛えることに繋がります。
そして、メタ認知を鍛える方法について説明していきます。
まず一つ目が、慣れている事を辞め、新しい事を体験してみる。また、慣れている事とは違う事を選んでみましょう。
慣れていることを行っていると、脳に刺激があまり入っていかず、前頭前野だけでなく、脳自体の活動が奪われていきます。
一方、新しい事に直面することによって、脳に活発に働く必要が生まれ、刺激が得られてメタ認知が働くのです。
例として、いつもと違う事をするとするならば、
・いつも帰っている道とは違う道で帰る。
・いつも行っているお店とは別のところへ行く。また、いつもと違うメニューを選ぶ。
特におすすめされているのは、不安定、過酷な環境に身を置くことです。
そうすることによって、未知状況や予測不可能の事態に巻き込まれたとき、それまでの知識や常識、社会的信用だけでは不十分であり、新たな情報や、科学的思考、客観的思考が必要になってきます。
普段通りの環境、普段通りの言動を行っていると、それが社会全体のルールだと錯覚してしまいます。
なので、こうして慣れていない事を行うという事によって、「違うことがある」という事を受け入れやすくなります。
そして、その状況に置くことによって乗り越えることができた時、成功体験を感じることができます。
また、この新しい環境に身を置く方法を体験するには、別の手段として自身が普段絶対に読まないような本を読むことによって体験できるのでオススメです。
更に、本のようにコストをかけず知識の偏食を防ぐ方法として行えるのは、ネットです。
ネットで出てくる広告は、普段調べているような内容で「あなたはこういうのが好きですね」と広告が掲載されて偏った知識にさせてしまう事があります。
まったく興味ないキーワードを調べてみると新しい情報を、ニュースが広告に出るようになり、知的偏食が防げるようになります。
食事で前頭前野を鍛える
前頭前野をキープするためにはオメガ3脂肪酸の積極的な摂取が重要になってきます。
このオメガ3脂肪酸が含まれているのは、サケ、マグロ、マス等々青魚に含まれ、またカキなどの貝類、クルミ、ナッツ類にも含まれています。
睡眠を取る
睡眠不足になると思考力、記憶力、学習能力が低下してしまいます。
その為、少しの隙間時間でも睡眠はとることをオススメします。
眠気と言うのは、睡眠ホルモンであるメラトニンによって起こります。
メラトニンが減ると、眠気が訪れます。そして、メラトニンが発生するためには、元であるセロトニンが必要です。
このセロトニンも減ります。そして、セロトニンの増やす方法としては、日光に当たることが大事です。
毎朝起きたらカーテンを開けて日光を浴びることが大切です。
読み終えて感じた、感じていた見解
以上、ざっくりですが、ごっそりと本書の殆どの内容を抽出し、自分なりにまとめてみました。
本編の通り、誹謗中傷するにはただの”性格”というわけではなく、人間としての”性質”があるという事がはっきりわかりましたね。
最近の流行りの言葉で捉えるのであれば、日本人というのは特に、自分が正義、グループを優先するという風な考え方にプログラミングされてしまっているという事ですね。同調してしまうのも、そういうクセがあるからです。
少し失礼な言葉選びなのは分かっていますが、恐らくそういう風にとらえるのも、対立し、正義中毒になるドーパミン発生を与え合うような状況を防げるのではないでしょうか?と感じます。
人間というのは、問題点を上げて、円グラフを作ろうとすれば満たせていない部分が合ってなんらおかしい事は無く、完全に補いきれることはありません。
もちろん、批判する人の中でも問題として取り上げていない部分が不足しているということもあるでしょう。
本書にも書いてありますが、やはり自分自身を客観視して、自分の感情を自覚するという事は大事だと僕自身も感じます。
自覚するだけでも、自身の感情の熱を冷ますことができます。素に戻ると「なんであんなに躍起になってたんだろう?」という感情を後々感じたような場面は意外と誰にでもあるのではないでしょうか?
人間というのは、その直前の状況にすぐ反応してしまおうとすると、感情的になりがちです。なので、一度経験したことがあることや、自身を俯瞰することによって、似たように後々冷めるという事が予想も出来るようになります。
そうすると少しムキになるのも無駄になってくると思います。
また、ほかの文献を読んで知ったことですが、自分自身の感じた事をペンで紙に書くと文字として同じように自身の感情を俯瞰することができるようになりますのでオススメです。毎日日記を書くというのも良いですね。
と言いつつも、実際のところ、紹介している『人は、なぜ他人を許せないのか』についてですが、そもそも自覚していない正義中毒者はこのようなホントは出会わないのではないだろうか?とも思います。
そもそも、本ですら読むでしょうか?
本というのは様々な思想が一冊だけでも豊富に記されているものです。
読んでいれば大抵の事は我慢できることだと思います。
それでは、そのような正義中毒者はどうすればいいのか?という事をここで長ったらしくすでになってしまっていますが、勝手に記させていただきます。
一言で言いますと、「今知識を得たあなた自身が考え方を与えればいい」、です。
人は正義中毒者は自身の思想に依存しているので、もし、出来るのであれば身近にいればあなた自身が軌道修正させるきっかけになる事が、一番思想の転換に期待ができるのではないだろうか?
SNSやネットでは、言葉が簡単に書けるが、結局そういう人というのは返事が欲しいので頑張って過剰に構ってもらえると思って強い主張を行っているケースがあります。それが誹謗中傷になっているとは自覚せずに。
なので、論争になってはいけませんが、新しい考え方と、その人自身の、状況を逆撫でしない程度に教えてあげることが有効だと思います。そして、その人に対して「こわい」や「イヤだ」と感じているという意思を匂わせることができると、対象が「こわがらせてしまっている」「嫌われてしまうかもしれない」という風に感じることでしょう。もちろんそれはやはり、理解の速い人であればです。
しかし、少しずつでもそういう誹謗中傷の束の一人でも減り、最終的になくなるという事が僕の理想です。
実際に、昨今その誹謗中傷の問題でアーティストやタレント、俳優の自殺が発生してしまっていると思います。当然、断言できることはできませんが、原因では無いとも断言できません。
当人たちからは永遠に確認する事はできないのですから。
本書には「人間は正義中毒になってしまう性質」と記されていますが、やはり、受け入れて放っておくような問題ではないので、それを受け入れた上で、改善するという方向に世の中の誰もが思えるようになればいいなと思います。
理想論ですが、実際になったとして悪い事ではないと思います。
しかし、人間のその反発しようとする性質が社会を発展させてきたのも事実でしょう。
その人間的心理が、誹謗中傷に発展せずに建設的な議論として言葉が生まれて、成長していけば良いなと思います。
最後まで長々とした文をお読みいただきありがとうございました。
それでは、ここら辺で。
【マンガ】作・夏緑/画・ちくまきよし:著『しっぽの声』読了レビュー
今回は2巻が出た頃から読んでいる『しっぽの声』という作品の7巻のレビューを書いていきたいと思います。
原作:夏緑
作画:ちくやまきよし
協力:杉本彩(公益財団法人動物環境・福祉協会Eva理事長)
今回も動物、主に愛玩動物の犬、猫の人間社会においての扱いがテーマです。(そもそも全巻そうです)
ストーリーは8篇収録で、内、話が上下で構成されているのが6編です。
今回は2編分だけ紹介したいと思います。
第48話『幽霊が泣く森(上)』、第49話『幽霊が泣く森(下)』
希音ちゃんが「幽霊を見に行きたい」と言い、山トンネルへ希音ちゃんと士狼とバイト2人が行きます。
そのトンネルの手前に犬の影が現れ、バイトの一人、蒲田が襲われガードレールの向こうに落ちてしまう。
警察を呼び探索をする。
警察によるとその山は猟場で迷子になったり、狩りの役に立たなくなり足を撃たれた猟犬が野犬化し、山をうろついているとの事。
ここでチェックポイント✅→動物を捨てるのも殺したり、傷付けること同様、”虐待”になる。
また、動物虐待の検挙件数で一番多いのは殺傷ではなく、動物を捨てる事。検挙数の8割を占めているそうです。
更に、動物愛護法では虐待全体が厳罰化され、罰金だけだったのが懲役が付いたとのこと。
殺傷→『5年以下の懲役または500万円以下の罰金』
遺棄及び飼育放棄→『1年以下の懲役または100万円以下の罰金』
懲役が加えられることによって、引き取り屋を語る悪徳域物業者のような金だけとって捨てる相手の対策もできる。
愛玩動物だけに限らず、狩りや目的を優先して捨てるという人がいるってことなんですね。
住んでいる場所にもよるとは思うけどなかなか普通に暮らしていても知らないような事ですよね。それから、やはり状況の限界が来ることによって”法律上の罰”が厳しくなるという事も耳が痛い話ですね…。だけど、無責任なことをやればその分自分に返ってくることだと充分な理解をしておかなければいけないという事ですね。
夜で二次被害の可能性もあり翌朝、森の中へ入れるような準備をし、士狼が森の中へ探しに行くと、昨晩現れた犬に遭遇し、腕を襲われます。もちろん、腕に保護グローブを装着していて、けがはありません。
そこで、士狼は首を狙ってこなかったことに気付き、その犬はエサを目的に襲ったという事に気付きます。
一報警察側にクソゴミ脳みそな自称弁護士がやってきます。
野犬と化した森の犬を駆除しようとしている警察に対し、クソ弁護士森の犬が逃げた飼い犬だったらどうするのだという話を持ち出して来ます。
しかし、近隣住民からは確認はした上で捕獲隊を要請しているのですが…
どうやら犬、猫、野犬、野猫の線引きが昭和38年でも定義が曖昧だとかうんぬんかんぬん。そのまま駆除してしまえば動物虐待で訴えると言い出す。
まあ、その後に士狼がこの自称弁護士がその犬の飼い主だろうと見破って論破する。
勿論、飼い主だと肯定してしまえば遺棄したという事になり法律に触れる。
無事、士狼は犬を保護し、また、襲われたバイトの蒲田も見つかり一件落着になります。
保護した犬、”アイ”は動物保護センターで育て、無事回復し、後は里親が見つかればいいねって事で終わります。
愛玩動物を”愛玩”として扱わずにぞんざいな商売道具や自分の身分の満足の為に扱う人もいるんですね。
今回の作中のクソ弁護士のように、自分の知識をひけらかしてマウントを取って自分の利益を生もうと考えているという人もいるわけです。
そういう目的の人に限らず、簡単に動物を一度買い始めたら責任を背負わなければいけないという事ですね。
人だったらそんな事は勿論行動にまでは至らないとしても、動物になると、”モノ”として扱われちゃうという事です。
そもそも、その発想に至るという事がアウトですよね?
だから飼い始める時も、”かわいい”とかだけでは済まないという事が現実です。徹底した対策が飼う限りは求められるという事です。
犬だって望んでいない。猫だって望んでいない。
そういう”動物の生”について追及して描かれている『しっぽの声』は辛辣な現実だけではなく、もちろんほっこりと優しい動物の話も入っています。
今季のコロナの影響により自粛期間で動物を飼うようになったという人が増えたそうです。(参照:コロナ禍でペットブームと飼育放棄が同時に起きている「危うい現実」(石井 万寿美) | 現代ビジネス | 講談社(1/6))
その為、今回の機会にも、今後飼い始めるというような方にも読んでいただきたい作品です。
まったく知識のないまま飼い始めるという事は無いと思いますが、法律が関わってくるという事、もちろん命を大事にするという考え方を改めるために読んで欲しい話がたくさん含まれています。
動物の絵は優しいタッチで描かれていてそこからも温みが感じ取れると思います。
安易な判断をしてしまう前に、ですが身構えすぎず勉強がてら読んでみて下さい。
それから、むやみやたらにクソとかゴミという言葉を乱用してはいけませんね。失礼しました。
自己紹介
普段このような読了のレビューをマンガだけに限らず、小説について書いたり、今後はエッセイ本について書くつもりでいます。(時々日常で自分が思った事も書いたりもしてます。)もし、今回の記事が良かったら👍ボタンとフォローよろしくお願いします。
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