【独想文庫】Reading Thinking Ringing's…

読んだ本の感想と日々思った事をつらつらと…

萩原みのりという女優に釘付けになってしまった。

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萩原みのり

Amazonプライムで『I”s』というドラマを見ていたのだが、それに出ている磯崎泉が可愛すぎた。

登場は7話からだった。

 

彼女の登場シーンは水着姿で男なら誰もが唾をのむだろう。

彼女は海辺で彼氏から貰った指輪を探していたのだがそこで主人公に見つけてもらうのだ。

しかし、泉ちゃんは直後にその指輪を投げ捨ててしまう。理由はその指輪をくれた彼氏とは別れた自分の手で捨てたかったからだった。

 

そして、その後の無邪気にちっちゃい顔で笑むさっぱりとした気持ちのいい表情に僕は心を奪われた。

 

水着だからじゃない。海だからじゃない。

 

女の子の細い身体に繊細な腕に、振るった瞬間に見せた軽く純粋に動いているような様を感じる演技に一瞬にして惹かれたし、誰もが惹かれるだろう。

 

主人公からは食事を誘われるがその場では断ってしまう。ナンパは受け付けていないからだ。そういうところもはっきりと言うところが魅力を感じる。

 

彼女のパワーワードは『お互いに名前を知ってたらまた会える気がするでしょ?/私は信じてるんだ!』

その時の屈託のない笑顔がきゅぅッと締め付けるほどの可愛い笑顔を見たら一日…いや一ヶ月一年……一生頭から離れない。それほどのキュートなスマイルだ。

 

そして、とーにかく彼女の目力がヤバい。

――更に表情がはっきりわかる口の動き…!!

 

まあまあ、落ち着け。

とりあえずその後の展開、彼女の破天荒に縦横無尽に物語をかき回すとともに様々な表情を見せる彼女を見れば男なら誰もが翻弄されることだ。

7話からでもいい、見てくれ。

第7話「第4のI」

第7話「第4のI」

  • メディア: Prime Video
 

 

萩原みのりという女優を知っているか?

 

そしてそんな魅力的な女の子を演じるのが萩原みのりさんという女優だ。

1997年3月6日生まれの現在23歳。(『I”s』出演時は21歳)。

愛知県出身、名古屋にて事務所(当時マネージャー)よりスカウトを受け芸能界入りする。

新体操をしていたが、背中の病気でドクターストップがかかったことをきっかけに中学1年で辞めたと自身のブログで語っている。

ameblo.jp

 

2012年に進研ゼミ歌う新高1生』でCMデビューし、2013年にテレビドラマ『放課後グルーヴ』でオーディションに合格を果たし女優デビューする。同年に『ルームメイト』で映画デビューをし、どれも脇役ではなく目立つ役どころを演じている。

 

特に見られている作品だと2015年の『表参道高校合唱部!』で佐々木美子役で陰キャからイメチェンしたシーンで注目を浴びている。

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このドラマはリアルタイムで見ていて音楽が好きという事もあり記憶の片隅にあったがキャラクターたちの印象まではすり抜けていた。

 

しかし当時は意識をしていなかったがこうして再会できた事には運命を感じる。

 

前述している印象と更に彼女の表情をざっくりとした表現をすると子供っぽいのだ。

笑顔、怒った時の口のとがらせ方、意地悪な表情をした時も全部が幼い。

 

しかし、興味を持って彼女が主演の『ハローグッバイ』という作品では女子高生を演じ、悩んでいる表情やちょっと大人びた表現を見ることが出来る。

ハローグッバイ

ハローグッバイ

  • 発売日: 2018/03/07
  • メディア: Prime Video
 

分かれた彼氏との間に子供が出来たかもしれない葛藤でおろすなら10万円が必要であるという事をクラスの委員長に知られ、道端で迷子になっていたおばあちゃんを助けたことをきっかけに付き合わされる羽目になる。しかし、最終的に関係が近づき、見事に思春期の成長を演じている。

『転がるビー玉』ではグレたキャラクターを演じ、

そして現在、先月より上映が開始されたばかりの『佐々木、イン、マイマイン』にも出演をしているので是非ともご覧になって彼女の演技の幅を感じて欲しい。King Gnuの井口理も出演しており、彼も同様に期待の大きい役者だ。


藤原季節主演『佐々木、イン、マイマイン』予告編

 

今後活躍の幅を広げていくであろう役者だ。

 

ファンの間で萩原みのりさんが主人公を演じで注目を受けている作品が『お嬢ちゃん』だ。主人公の名は”みのり”。役者に期待が込められた輝かしい青春物語。

 

「近づくなよ、テメエ息くせぇんだよ」というインパクトのあるセリフを見事に迫力を生み、

この作品で垣間見える萩原みのりという女優はトゲっぽく感情をさらけ出していく姿を演じている。


映画『お嬢ちゃん』予告編

 

立て続けに見事にデビューをしていき、着実に活動のシーンを広げ、表現の繊細さを研ぎ澄ませている萩原みのりという女優を推したい。

 

と言う話。

 

ミュージシャンのMVにも出演をし、ドラマ以外でも印象的な表情の魅力を発揮している。

ASIAN KUN-FU GENERATION『スタンダード』

ゴッチの顔が邪魔だ。

 

ASIAN KUN-FU GENERATION『ボーイズ&ガールズ』

 

銀杏BOYS『DO YOU LIKE ME』

 


 

萩原みのりさんに釘付けになってしまったから、書いた。

 

ではでは。

2020年11月読んだ本。

突如今月から始めてみる。

自分がいつ、何を読んだかっていうメモみたいなものでもあるし、ざっくりとどんな気持ちを感じたのかっていうのをメモしておきたいし、色んな人にこの作品を読んで欲しいなーっていう感じで書き始める。

だったら一冊一冊読み終わったら一本分ブログ書けやと言われても仕方ないが、書けるのは書いてる。書けないから一本にまとめる。

 

漫画『吾峠呼世晴短編集』著:吾峠呼世晴


 

necklessowl.hateblo.jp

 

ラノベ『Fete/strange Fake②』著:成田良悟

偽りの聖杯戦争が始まろうとしているが2巻にしてまだまだ序章に過ぎず、サーヴァントが新しく出ている最中。成田良悟の本気、というか遊び心感じられる二次創作にしてオリジナルリティがぶっ飛んでいて規模をどんどんと広がっていくのはやはり面白い。


 

 

漫画『それでも歩は寄せてくる』①~⑤巻 著:山本崇一朗

攻めるか守るか。

部活にもなっていない将棋”部”で主人公の田中歩が思いを馳せる相手、センパイと二人きりの部室で対局をする。その度歩は言葉でセンパイを照れさせるような言葉で攻めるのだが、将棋初心者である歩は毎度の事負けてしまう。それでも何度もセンパイに将棋で勝とうと挑み続ける。なぜなら、田中は将棋でセンパイに勝ったら告白をすると決めているから。田中が行為を向けているかのような思わせぶりな事を言うたびにセンパイが照れる姿が可愛E。そして、センパイの可愛さに気持ちが出てしまいそうにぎりぎりになる田中との二人のドギマギとした感じがじれったくてクセになる。ハートフルコメディ。


 

ラノベ『声優ラジオのウラオモテ #03 夕陽とやすみは突き抜けたい?』 著:二月公

一巻から重版が話題になって仕方がない『声優ラジオのウラオモテ』3巻目。

女子高生声優が学生生活と、声優という仕事をしていく中で人としての温かみや、自身の実力や、人間関係の温かみを育んで新たなステージに進んでいく声優という特殊な立場でありながらも熱い物語が垣間見えて時間を忘れるほどに没入させてくれる青春物語。


 

漫画『グッド・バイ』【原案】太宰治 著:羽生生純

先にドラマで見たのだが、漫画を描いている羽生生純さんの絵が田島毛のひょろっとしているのに何故か人間味を感じさせるポップな表情の切り替わりが秀逸。そして太宰治の『グッド・バイ』が原作にあるのだが、全然そんな事を感じさせない。

解説文がこうも省かれると物語に疾走感を生むのかという程の素晴らしいタッチだ。


 

『プチ哲学』著:佐藤雅彦

最近の世の中には観点が一方に偏っている人が多く、そういう人がSNSしかり世間で浮き彫りになりつつある。そういう時に哲学と言うものにふれると観点が増えると思う。例えば自分だけの視点だけではなく、周りから見た視点。視点によって考え方が変わるのは当然だけれど、どんな風な感性になるべきかという事を考えるきっかけにこの一冊は充分になりうることが出来ると思う。その上でユーモアを育むことも出来るから一冊持って間違いはないだろう。


 

 読書スピードが遅いけれど、これでも厳選した作品で楽しめている。今はこちらを読んでいる。


 

 

もっとコンスタントに小説読めるようにならないとなあ。

 

そんなところ。ではでは。

【2020→2021】これからどうなっていくんだろうね。

コロナ渦によって様々な事が滞り、佇み、歪み、崩れてしまい人間の意志は勿論、社会がボロボロに崩壊してしまった2020年。

 

COVID-19は1年を跨ごうとしている。

 

自粛期間を与えられ回復に見えた状況の中判断を誤り『自粛要請解除』をし数ヶ月が経ち愚かにも前例を越える数のウイルスの被害者が発生してしまっている。

 

第3波を迎えている。

 

第3波。馬鹿げている。あまりにも馬鹿げている。

 

コロナの感染者=被害者数だ。それが第3波に及んでいるという事がどういう事が分かるだろうか??

 

数じゃない。数じゃない。数じゃない。

 

個人個人の命の安否が必要であることに認識が至っているだろうか?

 

1000人の感染者があるとして、それは勿論拡散率が高くなるから危険な状態になる。

身体の弱いものに感染すれば最悪な状況に至る事もある。実際これまで何度もある事であって。

 

かと言って、感染者数が一人になりました。

 

その時、安心しますか?

 

――他県の方です。じゃあ、自分には関係ありません。

まあ、確かにそうかもしれないとして、その人の命には目もくれないのか。人でなしじゃないか。

 

今どれだけの数が回復しているのかが全く報道されていないように思う。

かと言って、報道されて安易に安心した者が出歩くようになればその人の感染リスクが上がるのは当然のことである。

 

とにかく、自粛させるのなら行動を最小限に抑えるように呼び掛けるのであれば、生活できるための手当てが与えられる必要があるのは当然じゃないか。

自分がいつ感染するのか、どこにウイルスが潜んでいるのかなんて目視で確認できる訳でもない。

 

行きたい行きたいで行きたがるのは分かるのだけど、それは君らには音楽に与えられた免疫があるからだろう。ウイルスを持って移動してる可能性だって十分に考えられるのに何故、ライブ会場へ向かうのかが未だに理解しかねる。

生きたい人は行けばいいと誤魔化すときがあるのは良くない事だとは思うが、やはり、感染者が発生してからじゃ遅い。

 

アーティストのライブだけじゃなく、映画観だってみんなの遊び場が奪われているのは誰の陰謀なのか。それは早急に対応できない指揮者とあふれる個人の集まりなんだよ。

自粛期間が解除されて自分は映画館へ行ってしまったことはここで反省する。ライブにだって行きたい。しかし、このままではやはり『集まるな』という言葉に反していて世間の見解は悪化していくだけだ。これじゃコロナの後も認識が回復するわけではないだろう。行かない人たちは疑惑を抱く。調べていないから。疑惑というだけで認識されるのはご免だ。運営、それに伴い関与する者達の生活を考えると『やめろ』という気にはなれない。手当をはよくれや。

 

 

今年何人の人が死んだ? どれだけ自殺者が出た?

 

生き苦しくなって当然だよ。制限が増えて気づいたら八方ふさがりになっている。

 

 ウイルスは人ではない。目に見えない。どこかに舞っている。付着している。潜んでいる。捕まえることが出来るわけではない。法律でどうこう出来る存在ではない。

そして人に宿る。人は無意識にウイルスを散りばめている。自覚をしろ。自分が持っているかもしれないその対象の一人だという事を。

これ以上悪化させるな。

 

日本の政治に信用が出来るだろうか。

人の死を噛み締めない政治が、どんな言葉を放った。

自殺者数が前年比を越えている。

去年の1月から10月一杯の自殺者数が17,059名。

(以下リンク表12を参照)

https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/jisatsu/R02/R01_jisatuno_joukyou.pdf

そして2020年今年10月までの自殺者数が17,219名。

https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/jisatsu/R02/202010sokuhouti.pdf

160名も増えている。

 

前述した通り、増えることに問題があるのは勿論、自殺者が出ている事が問題だ。増えた減ったではなく、自殺者が出たが問題だ。

 

コロナと言うストレスがどれほど蝕んでいくのか。そして、どれほど、自分自身たちが蝕まれていくのか。

 

追い込まれている人はきっと側にいる。原因はコロナだけではない。救える時に救わなければならない。

 

コロナウイルスが収まらない限り人のストレスも大人しくならないだろう。

まだしばらくVSウイルスの未来が続く。呑気に生きるのもいいが身の安全を願う。

 

これからどうなっていくんだろうね。

 

この世の全ての人の身の安全を改めて願う。

 

 

【漫画】『鬼滅の刃』の影を辿る『吾峠呼世晴短編集』感想

吾峠先生の絵はちょっと苦手だなって思った。

 

しかし、独創性が溢れたどの一遍一遍も個性があり、薄っぺらい内容ではなく時には考えさせられ、真理を突く表現が違和感なく軽く、的確に表現されていた。

例えば、JUMPトレジャー新人漫画賞佳作に入選し、『鬼滅の刃』の元ネタと言われている一遍目の『過狩り狩り』。

愈史郎と珠世を始め、『鬼滅の刃』でも重要な存在である鬼が出てくる。

そして、鬼を退治する、鬼殺隊らしき『悪鬼滅殺』と掘られた刀を持つ男が現れる。

しかし、その男は右腕を失っている

その時点で、その男の過去に何があったのかという”違和感”を生んでいる。恐らくこの男が主人公に当たるのだが、冒頭では主人公からの視点ではなく。珠世と他の鬼との対話から始まり、その時点で世界観の重たさが十分に伝わってきた。時代の背景として大正時代を舞台にしているため、日本人なら誰もが感じる空気がそこにはあり、一気に惹きつけるような求心力があるだろう。

それでありながらも右腕のないキャラクターの特徴だったり、話の途中から始まる場面で始まるのは新人漫画賞に入選するための重要な要素だっただろう。

そして、その時代背景と吸血鬼という新たな組み合わせが現在『鬼滅の刃』として急成長したのは、やはりジャンプの主人公らしい普通の男の子『竈門炭治郎』というキャラクターのお陰だろう。

『過狩り狩り』の主人公は無表情でジャンプが求めている年齢層にはハマりにくい。こんな主人公にハマったらみんな無表情になってしまうだろう。

 

二編目の『文殊史郎兄弟』では殺し屋の文殊史郎兄弟二人が少女から男を殺して欲しいと依頼を受けてとあるアジトに乗り込んでいくのだが、兄はピアノが好きで、ずっと弾いていたいというキャラクター、弟はアジトに乗り込んで先頭の最中にカマキリのような変な被り物をしていて物語だけでなく、キャラクターを映えながらストーリーが進んでいくのも暗いながらもポップに感じて読み易くなっている。

 

三篇目『肋骨さん』では、身体中に巻き付いた羽衣を自由自在に操り武器にする主人公と、ハサミを武器にする敵が出てくる。

この描写では西尾維新の初期の『人間シリーズ』を想起させたが、キャラクターのたたずまいから担当編集者がインタビューでも答えているようにジョジョからの影響なのかもしれない。(私はジョジョは分からないので近々観賞しようと思っている)

あと河童がもっと可愛ければいい。

 

四編目の『蝿庭のジグザグ』。

言った言葉通りに相手を操る能力を持ったキャラクターと、『種』を使う主人公。

種では『呪力』を吸い取ったり、『能力』を種にして吸い取ることが出来る。更に、種を『木』にし、自由自在に『武器』にするのは漫画ならではの柔軟な描写で面白い。

 

四作品を読んでだが、漫画家としてなるべくしてなったという趣が十分に感ぜられる表現力の幅を感じた。もちろん、表に出ていない作品もたくさんあるのかもしれないが、ジャンプ作品としてではなく、映像化されても充分見ごたえを感じるだろう。

主にシリアスな表現が多く、『鬼滅の刃』のような笑える要素は少ない。しかし、自由に動くキャラクターしかり、四編だけにして、時代物、現代的な世界観を用いるところは漫画家の表現の基礎なのかもしれないが、かなり自然と読めるように落とし込んでいるのは、技術とロジックがあり気なのだろう。それゆえにキャラクターが映えるようし仕上がっているのは言うまでもない。

時々、世界観の主張が強すぎて、読みにくい漫画もある。それが、本作品からは意外にも感じられなかった。


 

記事の冒頭で絵が苦手だと言ったが、キャラクター、展開の表情の切り替わりの波が綺麗、『起承転結』がはっきりし、『隠す』という事も巧みにされていて、荒木飛呂彦短編集のような表現力を想起させた。(しかし、面白いが、万人向けかというとそうではない。だが、どれも着実に確信に繋がる趣の感じる表現力とストーリー展開の、キャラクター、世界観の発想は鬼才だと感じる。実は作者はワニでも人でもなくやはり鬼だった。

表紙のデザインである『文殊史郎兄弟』の兄の方の姿勢とかも荒木飛呂彦みを感じる。


  


 

 おろ?なんか違うものを紹介してる気が。。

 

参考記事:

【インタビュー】『鬼滅の刃』大ブレイクの陰にあった、絶え間ない努力――初代担当編集が明かす誕生秘話 - ライブドアニュース

【ラノベ】『オーバーライト2――クリスマス・ウォーズの炎』ストーリー&感想

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オーバーライト2――クリスマス・ウォーズの炎

〈あらすじ〉

 ブーディシアやグラフィティ・クルーたちとの出会いによって音楽活動を再開したヨシ。そんな彼の元にかつてのバンド仲間、ボーカルのネリナが現れる! 
「ヨシの音楽には、魂がない」――ヨシの音楽に迷いを生じさせ、日本を離れる原因となった歌姫の突然の来訪。気まぐれな態度でヨシを惑わす少女の真意は?
 一方、クリスマス間近の街ではグラフィティを否定するミュージシャンの宣戦布告をきっかけにグラフィティ排斥の動きが激化!
〈Z〉を名乗る謎の人物によって街中のグラフィティが上書きされてしまう!
 傷つけられたブーディシアのグラフィティ、立ち上がったララ率いる〈女王熊の復讐〉。ブリストルの未来、そしてヨシをめぐる三角関係の行方は?

 

 〈ストーリー〉

主人公、ヨシは音楽活動を再開していたその矢先に、日本で元々一緒にバンド活動していた自分勝手でヨシを振り回す美声を持った女――ネリナと再会する。ある日、ヨシSNSガブリエルというミュージシャンがグラフィティを批判するコメントを投稿しているのを知る。後日、グラフィティにリバース・グラフィティされているものを見つけるが、そこにグラフィティされていたのは『Z』とだけで、”グラフィティ”ではなくそれはグラフィティを冒涜する主張だった。ヨシはグラフィティを”傷”と冒涜するその『Z』と名乗る正体をグラフィティライター、ブーディシアとグラフィティ集団《女王熊の復讐(クイーン・ベアーズ・リベンジ)》のリーダー、ララと調査を始める。

その間、グラフィティに興味を抱くヨシに対して音楽をやらせたいネリナはグラフィティに対して関心が無い。そして、ブーディシアと相性が悪く日本語対英語でありながら対立をし、ヨシを取り合う始末。

ヨシはギターを弾くために、ガブリエルが所属する『ジ・アーク』というバンドの新しいプロジェクトのオーディションへ参加する。そこで一つの壁を乗り越えネリナと共に音楽を披露し、バンドの参加への合格を得て、クリスマスにライブを行う事が決まる。

 

街はガブリエルの影響なのか反グラフィティ派が増えていた。

一巻でヨシと出会ったララはブログにて、ガブリエルの活動に対し意思表明を示した。音楽が残るべきか、グラフィティが残るべきであるか。しかし、事態はそれどころではなくなる。

その間、ヨシネリナが落書きの『Z』の正体だと突き止める。

クリスマス。ヨシネリナガブリエルと共に『ジ・アーク』のライブを行う。そこでヨシはグラフィティと音楽を繋げる手段に出る。そこでグラフィティを倦厭しているガブリエルブーディシアの思いもよらぬ繋がりが明らかになる。ガブリエルにはグラフィティを嫌う理由があった。その理由の元凶であると疑われる行いをしていたのがブーディシアであると正体を知り事態は急展開に追いやられる。

周りは火事になりヨシブーディシアは助けを求め、ネリナが助けに来る。

ガブリエルブーディシアのいざこざが残りつつ、事態はゆっくりと収束を迎える。

最後にはグラフィティと音楽、どちらが街に残るべきかという話の決着はつかずガブリエルもグラフィティに対して理解もし、胸の内を打ち明けて自分の間違いを諭すことになる。グラフィティを排斥しようとしていた反グラフィティ派の市民の動きも小さくなっていった。

ブーディシアネリナも序盤からツンツンとした性格全開だったが、話と共にヨシを安心させるデレ、とまでは言えないがゆるッとした空気になり、綺麗に物語はみれあさんの素敵な挿絵と共に終わる。

 

 補足と感想〉

作中では舞台となっているイギリス、ブリストル出身の実際に存在するMassive Attackというバンドの話が出てくる。その為、章のタイトルそれぞれ、Massive Attack の曲名になっていて合わせて Massive Attack の曲を聴いてみるのもオススメ。自分も Massive Atack の作る独特の世界観には釘付けな一人なので今作を読んで更に好きになりました。作中ではバンクシーの正体がマッシヴのメンバーの3Dという噂についての会話もあり、現実にもある事と繋がっていて一巻目同様にその面に関してもどこまで掘り下げるのだ…!?という不思議なハラハラ感も僕としては感じました。

グラフィティの歴史、舞台の街にゆかりの音楽との関係についても語られているからこそのリアリティ要素がよりシリアスさを感じさせて飽きさせないと思います。


 

一巻の感想は書いていないので書けたら書きます。


 

ではでは。

①命について考える。~自殺の影響について~

日々是好日

 

どうも、最近の気候と同様気分の変化が激しいアウルです。

覚えて帰って下さい。アウルです。

 

それじゃ本題に入ります。

 

人は生きている上で、暗黙の了解のように誰しもが何かをしている。

それは誰かに与えられたり、自分で選んだりしたものを生きている限り、誰しもが必ずしている。

しかし、生活する場所に応じて『何もしていない』という状況もあったりする。そこで求められている仕事、立場に応じた作業、学生であれば勉強だったり。

 

共に作業する人がいるのであれば何もしないという事は認められないであろう。そこに関係性によって状況は変わってくるが、片方が何もしないという事は、その分もう片方が負担を負うという事になるだろう。

 

そこに居るのなら、何かをしなければならない。

 

暗黙の了解がこの世には存在する。

 

誰にも貢献せず、何もしていない人は、それだけで人に負担=傷を与えている。

それは当然状況によると思う。

人は常に何かをして、何かを成し遂げて、次に進んで、何かをまた手に入れて、そして生きている。

 

重く考える事じゃない。そこにただ当たり前の暮らしがあるだけ。生きて、その上で選べる手段を選んで欲しいというそれだけ。

 

仕事をしたくないと言えばしなくても良いと思う。しかし、それによって、傷付ける人が発生してしまうのであれば、努力して仕事はしなければならないと思う。

 

人は、常に人を傷つける可能性を持って生きている。それがどういうことか考えて手段を選んで生きて欲しい。

 

だけど、完全に何もしない、何もできない状態…死ぬと、生きている間以上に人を傷つけると思う。それが、例えば自分で選んだ結論だったりしたらそれこそ、人を傷つける。

 

有名人であれば、それこそ認識している人が沢山いるという事だし、影響を受ける人の数は多いに違いない。悲しいや、辛いや、ダメだ…と。

中には同じ手段を選んでしまうファンだったりも存在しないわけではない。そこには責任があるとは言いたくはないが、立ち止まる必要が必ずある。僕は誰にも自殺しないで欲しいから。良い事なのか、悪い事なのか迷ったりもするけど、悲しいと思う人が増えることは少なくとも悪い事だから、自殺しないで欲しいと思うのは正しい事だとは信じている。

 

ニュースでは芸能人が優先して取り上げられているが、毎月自殺者数は国内だけでも1,500人は超えている。

年間で言えば18,000人以上だ。『自殺者数』とネットで検索してみると日間、男女別で人数が出てくるので興味がある人は調べてみて欲しい。

 

 

まあ、数ではないのだ。本来なら一人も出ないのが理想なんだ。

 

だから、生きている間、人に出来る事、自分に出来る事、自分の気持ちの傾向を考えて、生きるために手を尽くすべきだと思う。

自分も気分の浮き沈みが激しく、突然、1分前に考えていた事とは反転して気付いたら悪い方向に気分が傾いていることがある。だから難しいとは思う。簡単ではないと思う。

だから、毎日の積み重ねが大事だと思う。他人と、自身との間に確かなつながりと、安心や信用を築いて、未来に希望を抱けるように少しでも務めて欲しい。

 

死んでしまった人の気持ちは分からない。誰にも。「そうかもしれない」でしか考えられない。

だから、辛いなら、話して、生きる希望を無理にで作って、じゃなくても、考えすぎないで、暮らしを続けて欲しい。

人一人の死で、1人以上の人を傷つける可能性の上で人は生きている。

 

やめてしまえば、その人に抱いていた希望が歪められて傷つく人が生まれるだろう。

 

そこには希望は無い。不幸が連鎖するだけ。これ以上…これまでの自殺も辞めて欲しいと言いたいけど取り返せないんです…。

 

この文を読んだ人だけでも、少しは自分と、相手に対しての行動を見改めてみて欲しい。

 

生きている上で人々には暗黙の了解がある。

何かしなければならないと。

何もしない人、何もしなくなった人がいると、傷つく人がいると。だから、続けてみて欲しい。使命というわけではない。時間に委ねることも良い事だと思うよ。あくびする感じに生きたって良い。

 

とにかく、死ぬんじゃねえぞ。